≪2013年始動・古墳の記帳ノートも衣替え≫2013年01月05日 20:32

記帳ノート1
昨年、古墳来訪の皆様の声を受けとめる為に、間口に置いたノート。…遠来から古道を辿って来て下さる方、再訪の方々、その名もなき声を受けとめる形をと小さなノートを置きました。
越年を経てすでに2冊目…。雨露をしのいだカバー袋を新年にあたり新しく衣替えしました。
このノートで拾えた様々の声は、無形の財産だと思い、大切にしたく…。
これまで幾度も来訪の方、11月講演で知って実踏の方、そしてこの古墳整備の方からの“記帳”を喜んで下さったお気持ちも記された。
パソコンやネットだけでなく、こうして直接来て下さった方の気持ちを拾いたい…、そんな思いの一助。
万来の方のなかに、なんと「森浩一」先生の記帳!
有間皇子墳着眼の先生が講演を前に来報。この小さなノートに「40年ぶりに見ても感激。ますます有間皇子墳と確信」と記して下さった一文は、地域皆の財産と刻みたい一筆と感動。
皆様の来訪のキモチを記すノート、今年も岩内の墳丘でお待ちしています。
佳き新年へ…☆〃

≪(頌春)古墳も年頭飾りで万来を歓待!≫2013年01月01日 23:50

古墳:(柵)正月飾り
2013年~新しい年にバトンが渡りました。皆さんはどこで新年の幕開けを迎えましたか?
御坊に眠る古代史かなめの岩内1号(有間皇子)墳。昨年の講演を終え、新年の来訪を歓待するように、佇みます。
新年を迎え、これからは「有間皇子ことはじめ」の会で、少しずつ地元皆様の声を集めて、今後の顕彰へと紡げればと思います。本年も宜しくお願いします。
≪東山の森Ark≫

≪古墳ノートの存在、遠来の来訪の数々、そして森先生の直筆が…≫2012年12月29日 00:15

古墳ノート
静かに佇む岩内1号墳。実は熊野古道最寄り…。この地には県外からも多くの人がこの古墳へ辿るように訪れて下さっている。
県外に目を向けたとき、ブログなど様々な声で記されているのを目にし、更には私が奈良で出席した有間皇子顕彰会では10年ごとに訪ねているという声までかけてくれた。
このことを受けとめているものが御坊には何もない。パソコンだけではなく、この地にやっとたどり着いた時に記すものが必要…と思い、古墳間口に小さなノートを置いた。
そうしたところ、遠くは長野から、又はネットで遠来探しての方、四季折々訪ねて下さっている方、様々な声が記された。
新聞や講演で有間皇子を知ったという地元の方は「こんな身近に、こんな古墳が眠っているとは知らなかった。ここへこれて良かった」と記してくれていた。「この古墳をこのままにしてはあかん」という声が嬉しかった。
更には年に何回か古墳整備に入っている方から「古墳掃除人」ですとの記名で、「いつもお参りをありがとうございます。このノートを置いて下さった○○様(←私の本名を解った模様で)、一人ひとにお返事をありがとうございます。一層頑張ります」との記帳!私はこの古墳整備をずっと支えて下さっている方が、まるで息吹を得たように呼応して下さっていることに感動!このノートを置いてヨカッタと思った瞬間でした。
★そして、何より、ある記帳に震撼…、
「40年ぶりに見て感激。ますます有間皇子の墓でよいと確信しました」森浩一。
…本年の講演を前に、この古墳を有間皇子と着眼提起して下さったご当人の森先生が発掘調査以来、この地に記して下さった瞬間だった。
全国ほとんどの天皇陵に実名を安易に付けるべきではないという論説の森先生が、数少なく名を明言されたのがこの岩内1号(有間皇子)墳です。
実際にこの地に訪れて下さった様子は、『歴史読本』12月号に写真掲載と共に、有間皇子特集として森先生が執筆下さいました。
「古墳ノート」、それはまるで萬葉集が天皇から詠み人知らずまで記したように、名もなき来訪の方から、掃除で支えて下さっている方、そして、古墳着眼者の森先生まで、同じ小さなページに一言を記す存在になりました。
(今も尚、古墳の間口の柵に吊るしてあります。大切な宝、どうぞ市の方、排除しないでくださいね。ノートはすでに第2冊目に。第1冊目の森先生が記して下さったところまでのはコピーしたものを添付していますので、現在もご覧いただけます。現物は大切に保管し、今後たくさん声が蓄積されたとき、多くの声としてご覧頂ける機会ができればと思っています)
古墳は今も日高川河口を臨み、皆様の善き次年を願うように佇み、来訪をお待ちしています☆〃

≪春爛漫・桜満開の古墳≫2012年04月06日 20:53

桜満開の古墳
春爛漫・桜満開の古墳。
古墳門前の桜が春の陽光を受けて満開となりました。
幾千年を経ても変わらず巡る四季、眠りを開眼するような百花繚乱の時節。
眠りし魂も陽光を嬉しく受けとめているように感じます。

≪小学校の子たちが青空授業≫2012年02月20日 20:44

古墳で遊ぶ子供たち
いつにない子ども達の声に包まれた古墳。
小学校の子達が先生の引率で社会科勉強。
看板の前で、有間皇子に纏わる由縁を語る先生。
この地に眠る7世紀の被葬者に馳せて語られる青空授業、
こんな豊かな授業はないと感激。
この地に生まれ、この地に造営された墳丘を有することに自負をもって、
幅広い関心へと向かってほしい。
おりしも有間皇子に命を賭して最後まで添い遂げたのが塩屋連(ムラジ)。
この日出会ったたのは岩内最寄りの小学校の子達だった。

≪想いを記すノート≫2012年02月15日 12:00

遠来から古墳への多くの来所…。
その寄せられる想いを受けとめる
『ひと声ノート』が間口横に。
私設にて常設の域ではないが、
辿り着く人々の声が生かされれば、古墳が佇む意義が深まると感じる。

★(他当ブログ&HPでも多くの声を受けとめ、発信の礎を紡いで行きますので、幅広くお声をお寄せください)

≪11月11日命日の有間皇子墳/開口部全景≫2011年11月11日 23:53

2011年命日当日は、小雨…。
有間皇子墳への着眼を喜んでの感涙とも思えてしまう。
1350余年、無念に伏された魂はあまりにも長きが沈黙に伏された。
この南面両開きに開口し、東山池を眼下に風うけて佇む墳丘に立つと、
その想いは哀悼だけでなく、今の世にも凛々しく問いかけてくれる雄姿にも感じる。

≪11月11日命日の有間皇子墳≫2011年11月11日 23:50

11月11日、有間皇子の若き命が断たれた日。
のちの移葬で、選ばれし墳丘、岩内の地で永劫の眠りについた。
備えられし野花は、まるで再会を示すかのような黄の色、
当地を訪れる人へ想いを紡ぐバトンのように映っている…。