≪岩内1号(有間皇子)墳近景≫ ― 2011年10月30日 15:40
有間皇子の没した場所を物語る唯一の有形の地。
様々机上の論があるなかで、史実存在した墳丘からの常設発信がないことから、
この地を有してきた使命感をもって発信始動!
四季折々に見せる表情は幾年月を経ても変わらず問いかける深層あり。
古墳からの発信、ぜひ様々な想いやご意向をお寄せください。
コメント
_ 讃良子 ― 2011年11月02日 15:59
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その現地から発信のブログが始まったのですね!
すごいことです!
あらゆる諸説があっても、現生の私たちは史実を肉眼で接するという機会が稀有です。
そのなかで、1300余年もベールに包ままれていた有間皇子が眠る場所、それが、この岩内一号古墳なのです。
処刑されたとされるのが藤白坂ですが、そこにも何一つ物証は出ず…。
有間皇子は、ただただ万葉集のなかで推察される域を超えませんでした。
ところが、30余年前に、同志社大名誉教授の森浩一先生の解析により、この地に眠るのは有間皇子しかないと説かれたのです。
多くの古墳が乱立した厚葬期とは違い、造営を控えるとされた薄葬期にこれだけの盛土と南面両開きで版築された古墳は全国にも類がありません。
岩内古墳群とされるこの地のなかで、唯一文化財指定となり、多くの魂が癒される地として、ここに佇まいを守り続けているように感じます。
ようやくこの地を発信とするブログが始動したことを嬉しく思います。
古墳が存在すること…このことが意味するエナジーは大きいと思います。
古代史かなめの時代の謎解きを今も待つように律する岩内1号:有間古墳…、これから、この古墳が存在するという観点での関心と様々な声が集まることに注目し、多くの関心と声が集まることを期待しています。