《次代の世代へ託す古代開眼講演in日高 現地校》2016年02月15日 11:14

古代かなめの古墳と同時に創建された県下最古の寺実在の地、日高御坊での文化講演実施。
有間皇子と藤原宮子に纏わる地から古代解明・探究の楽しさと意義をぜひ次代へ繋がる世代へ伝心したい…その意に沿い、今回急務ながらも要請を受けることにしたのが当地母校の県立日高高校・中学校の図書館企画講演。
/同校百周年記念として古代辟邪絵寄贈の縁から今回の機会に繋がり幸甚。同日は生徒皆さんの参加しやすい終業時間の早い水曜。平日午後にて参加難しいなか、世代を越えて満場近い来場。
この日の講話は、生徒世代に併せて、有間皇子が15歳で父・孝徳天皇と死別し19歳の謀略死を遂げる迄の状況についてと、後世に同地纏わる藤原宮子(聖武天皇生母)が天皇夫人となるまでの背景についてを重ねて、副代として「古代・日本版ハムレットとシンデレラストーリー、実在の地からの古代探究」として、わかりやすい観点から関心を向けることへを主眼として提起…。

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考古学は、実存物理学のように、方位(風水に則った造営創建を遠隔を成しても忠実に図られていること)や、古代“内裏”宮都には、政争相手も皆共に営みがあり、その後の相関図の元凶が読み取れることなど、最大のミステリーとその韻を踏んでいるということを触れた。

そして、その謎解きは誰もが発見者となれることと、その巣窟たる魅力を秘めているのが紀伊国であり、古代最大の要人に纏わる地が、ここ日高御坊であることを伝心。
岩内1号(有間皇子)墳の着眼発見者である森浩一先生が日本考古学の第一人者たる研究に至ったきっかけが、小学生の時に川で拾った器の破片が古代須恵器であったという感激から終生に至ったということに触れ、当日会場ご参加皆様に、この地の古代解明の一握を担ってほしいと祈念。

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古代終末期の全国でも稀有な版築造営方墳と皇位を示す埋葬遺物(漆棺や大刀)実在の地が示す意味は何か…、法隆寺級の伽藍跡とまでいわれる道成寺をまるで菩提寺のように従えて、岩内1号墳は日高川を結界とするように左岸真南に存在。

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萬葉集に最も多い追悼歌として詠まれる有間皇子…、聖武天皇誕生の際に最大級の随行御幸を行った持統太上天皇、その二人は遠き難波の地(有間皇子の父孝徳天皇)の宮で時を同じくして暮らし、その後は持統(鸕野讚良)の父、天智(中大兄皇子)に有間は謀略死させられるとなる顛末に、娘(持統)は心を痛めないはずがなく…、わが身の後を継ぐ聖武(首皇子)誕生の時に、父(天智)の因果応報の贖罪を願った娘(持統)の壮大なる執り行いが成されたのでは…と、様々な痕跡が暗示しているのです…。

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その解明の先駆を当地から…、伝播伝心を込めて、県立日高高校・中学校~図書館文化講演起案に参画。後世へ託す行脚の一途を弛まずにて…☆彡
■日高高等学校図書館・文化講演
講師:(登壇順・敬称略)
東 睦子(東山の森Ark 代表)/有間皇子墳造営と道成寺創建の背景から当地古代推考
津村 尚志(日高新報 代表)/天照大神~神武東征~応神・(白鳳~奈良)・日高由来
映像:小池正幸(小池組/東山の森Ark)/持統帝に纏わる様々造営と方位~有間関わり等
番組:NHK総合/在野から古墳喚起(有間皇子墳の取り組み取材)
●追記
[年末来へのお詫びと深謝]
昨年末に急遽の体調崩しての休止。
今回はご要請あった高校の3月卒業を迎える前に…とのご要請に応えて、急遽加療先よりトンボ帰りの一日実現。昨年来ご心配おかけした皆々様に心からのお詫びと深謝を込めて…(当日は病院ワッカを左手に付けたままにて登壇)
/これまでを無に伏さず後世へ紡ぎたい一心。本格復帰はまだ春~啓蟄を待って…☆彡

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