≪古墳ノートの存在、遠来の来訪の数々、そして森先生の直筆が…≫2012年12月29日 00:15

古墳ノート
静かに佇む岩内1号墳。実は熊野古道最寄り…。この地には県外からも多くの人がこの古墳へ辿るように訪れて下さっている。
県外に目を向けたとき、ブログなど様々な声で記されているのを目にし、更には私が奈良で出席した有間皇子顕彰会では10年ごとに訪ねているという声までかけてくれた。
このことを受けとめているものが御坊には何もない。パソコンだけではなく、この地にやっとたどり着いた時に記すものが必要…と思い、古墳間口に小さなノートを置いた。
そうしたところ、遠くは長野から、又はネットで遠来探しての方、四季折々訪ねて下さっている方、様々な声が記された。
新聞や講演で有間皇子を知ったという地元の方は「こんな身近に、こんな古墳が眠っているとは知らなかった。ここへこれて良かった」と記してくれていた。「この古墳をこのままにしてはあかん」という声が嬉しかった。
更には年に何回か古墳整備に入っている方から「古墳掃除人」ですとの記名で、「いつもお参りをありがとうございます。このノートを置いて下さった○○様(←私の本名を解った模様で)、一人ひとにお返事をありがとうございます。一層頑張ります」との記帳!私はこの古墳整備をずっと支えて下さっている方が、まるで息吹を得たように呼応して下さっていることに感動!このノートを置いてヨカッタと思った瞬間でした。
★そして、何より、ある記帳に震撼…、
「40年ぶりに見て感激。ますます有間皇子の墓でよいと確信しました」森浩一。
…本年の講演を前に、この古墳を有間皇子と着眼提起して下さったご当人の森先生が発掘調査以来、この地に記して下さった瞬間だった。
全国ほとんどの天皇陵に実名を安易に付けるべきではないという論説の森先生が、数少なく名を明言されたのがこの岩内1号(有間皇子)墳です。
実際にこの地に訪れて下さった様子は、『歴史読本』12月号に写真掲載と共に、有間皇子特集として森先生が執筆下さいました。
「古墳ノート」、それはまるで萬葉集が天皇から詠み人知らずまで記したように、名もなき来訪の方から、掃除で支えて下さっている方、そして、古墳着眼者の森先生まで、同じ小さなページに一言を記す存在になりました。
(今も尚、古墳の間口の柵に吊るしてあります。大切な宝、どうぞ市の方、排除しないでくださいね。ノートはすでに第2冊目に。第1冊目の森先生が記して下さったところまでのはコピーしたものを添付していますので、現在もご覧いただけます。現物は大切に保管し、今後たくさん声が蓄積されたとき、多くの声としてご覧頂ける機会ができればと思っています)
古墳は今も日高川河口を臨み、皆様の善き次年を願うように佇み、来訪をお待ちしています☆〃

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