《その時「御坊の“歴史が動いた”」元NHK松平アナ、有間皇子と藤原宮子の地、御坊日高へ“再訪”》 ― 2016年01月23日 13:25
更に今回記載の『地域人』編集発行者が御坊(藤田町)出身の柏木正博氏。
奇遇奇縁重なりの今回の再訪。松平さんからご一報頂き、これまでの有間皇子墳の顕彰、そして「有間と宮子」の企画構成と御坊市制施行60周年誌刊行へと至った取り組みが一つひとつの種となり実となる実感嬉しく…。
2016年、政府が掲げる「地方創生計画」元年。/御坊日高に於いては、古代かなめの有間皇子墳実在の地であり、聖武帝の生母・藤原宮子の生地。遡れば日本最古の弥生時代鋳型も発見の環濠集落の遺構を有する地。 まさに古代足跡を記し、その観点から唱えられるのが「在野学」! 岩内1号墳を有間皇子墓として着眼発見された故・森浩一先生が唱えた名言は、「考古学は地域に勇気を与える」と提起されている。 松平さんは、御坊日高について、古来の情報・物流の要所であり、その伝説と歴史の豊富さを称えて下さり、2012年の初来訪ご登壇の際「ようやく憧れの地に来ることができました」で開口。今回の記事中で有間皇子眠る岩内が孝徳帝の近臣、塩屋連鯯魚の墳丘と触れ、藤原宮子を九海士の早鷹と渚「海人シンデレラストーリー」道成寺の開創縁起を紹介。 当地に眠る歴史と伝承、そして実存の史実の証しについて開示して下さったこと嬉しく一考…☆彡
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