《奈良『森浩一先生に学ぶ』始動~第一回出席へ》 ― 2015年08月16日 21:49
■一昨年急逝された森先生、あまりに膨大な“森考古学”の軌跡!
「後世へ紡ぐ形を遺さねば森先生に申し訳ない」…奈良での発会は天野幸弘氏(朝日新聞社)の司会から始まりました。
この会はまさにレジェンドの構築への始まり…。/基調講演には、奈良県立橿原考古学研究所の今尾文昭氏、茨城大名誉教授の茂木雅博氏、そして会をまとめるのが同橿原考研所長の菅谷文則氏。
日本考古学を牽引する方々が皆、森考古学の申し子…という、とてつもなき深き豊かな機の発足。
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紐解けば、天皇陵などの治定は近世明治の時代に強行されたものであって、裏付ける考古学踏査は皆無に近いほどわずかな状態。その妥当性を解明してこそ、本来の拝所の意も叶うし、戦後考古学の解明に至ると学知探究を掲げたのが森浩一先生。
代表的なのが、皆が仁徳天皇陵と常習してきた古墳に論拠となる踏査がないことを指摘し、のちに「大山陵古墳」と称されることになり、教科書にも“地元呼称”を優先すべきとなるきっかけを作ったのが森浩一先生なのです。
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実際の“踏査”を行ってこそ真実が見える…を身をもって提起された森先生。
その姿勢は、学域を越えて松本清張氏、司馬遼太郎氏と親交を深める「古代学」に至り、更には在野に輝く遺跡遺構を地域の力にと提唱された「地域学」は各地に起学となり、現在息衝いている。
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2012年、有間皇子墓実在の和歌山県御坊市での講演、術後を押しての講演は生涯最後となり、そこで託されたのが「紀州学を立ち上げよ」…でした。
遺言なのです。
最後の命の一滴まで、在野の向学を提起して下さったのです。
私は有間皇子の墳丘所有のきっかけからでしたが、これは最後に託された使命だと思っています。
いわんや、地域皆の使命なのです。
更には、全国在野の人々の、何をも代えがたい自負となる宝なのです。
森浩一先生が掲げられた名言「考古学は地域に勇気を与える」!
今更ながらに、心に響きます。
ゆえに、後世へ繋ぎたいと思います。
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今回、『森浩一先生に学ぶ会』第一回が奈良・橿原考古学研究所で始動しました。
森先生の生き様、選球眼、探究の心、これは考古学を越えた“哲学”です。
レジェンドの紐解きが「学ぶ会」として始まりました。
さて、次回はどこへ…。
早速、和歌山での提案が遠からず…と挙がっています。
より多くの皆様のご傾聴お声を賜り、実現と継承へと思います。
多くの神々降臨の地、和歌山に「紀州学」はまだ立ち上がっていないのです。
…ぜひ、皆様のお声ご協力をお寄せ下さい。
~奈良~東西奔走の一路より~
HP【東山の森Ark】
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『森浩一先生に学ぶ会』
●講演第一部
「天皇陵古墳と森浩一」
今尾文昭/奈良県立橿原考古学研究所調査課長
●講演第二部
「森浩一先生と天皇陵問題」
茂木雅博/茨城大学名誉教授
●まとめ
菅谷文則/奈良県立橿原考古学研究所所長
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●遺影展示協力:東山の森Ark
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於:奈良県立橿原考古学研究所 講堂
8月9日実施。
200席満場
(閉会後、遺影と共に:森先生奥様、今尾先生)
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