《地域活性博覧会「おんぱく」》~御坊日高の秋開催へエントリー ―2015年08月03日 21:30

駆け抜けた和歌山現地:会議(4)&打ち合わせ(3)&現地下見(8)~全14カ所を一週間で踏破~宮子姫里づくり草刈も参加、最後は信頼できる仲間と打合せて、東京戻りへ~/
● 在野にある大切なことを発見喚起へ~/今回お声がかかったのは地域喚起のイベント『おんぱく』の和歌山で初開催となる「御博」。/締切ぎりぎりのお誘いであったけれど、「お役に立てるならば…」とタイムリーな大切な起案を厳選して3企画(下記)エントリー/
●それぞれが日本に発することができる大切な観点!今回私の起案に協力と集まってくれたのが大切な仲間皆さん~そこで感激なのは地元若き世代も共感してくれたこと。
在野に存在する大切なことは、他所には代え難い魅力と、次の世代がこの地で生きていく背中を押す力になる…そのことを伝心が使命…☆彡。
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遠くに在りても育った郷里や、在野にある魅力は地域内外からの参画を受け入れ伝播するのが、「おんぱく」の本来の基層では?と、運営理念へも問いかけつつ、地元代表を各起案ごとにも立て、奮起起案へ…。
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エントリー起案:& (今年取り組むタイムリー内容)

① 御坊日高の古代史開眼:『有間皇子ことはじめ展&ライブ』
(今年御坊市制施行60周年記念誌として「有間と宮子」を編集刊行)
全国で唯一の古代都以外の地に造営された岩内(有間皇子)墳、その顕彰から学ぶ会を毎年恒例11月有間皇子命日に開催。今年は、雅楽演奏と、記念誌からの解説他。

② 紀伊半島最西端の天文台の地から『星めぐり』の会実施。
日本でも最大級の100cm望遠鏡と、プラネタリウム、宿泊施設が一緒に存在するのは国内でも他に一例ほどしかない程貴重な存在だったかわべ天文公園。
昨年18年間の観望機能が閉鎖され、今は宿泊施設だけの稼働となった地で、再びの星の光を愛でる機会を!を提起。
昨年の観望休止前に行った「星巡りを奏でる夕べ」会として、今年の地域発の「おんぱく」で、在野当地で星を愛でることの大切さと魅力を発信へ!
(今も生きたまま閉ざされた状態になってる望遠鏡がいつまで持つか…。一刻も早く、一回でも多く、この天文公園の魅力を伝播へ…)

③ 『クヌッセン&エルトゥールルから学ぶ海難救済の友誼』
和歌山に二つも存在する海難救済遺徳。125年前のトルコ船救済は本年日本トルコ初の合作徳「クヌッセン(デンマーク)海難救済」を学ぶ機会へ…。
エルトゥールルは125年、クヌッセンは58年、それぞれが今も欠かさず慰霊に献花や紙芝居など友誼を紡ぎ、県の道徳読本にまでなって遺徳を学ぶ機会を続けている。
このような取り組みが絶やさず続いているのは、全国でも和歌山県のみ。
ところが、この遺徳顕彰が続いていることを地元内外含め共に知るという人は少なく、周知する世代が希薄となる現在…。
本年エルトゥールル号映画公開目前の時期と「御博」開催時節が重なっていることを併せて、地元、日高・美浜町に続く遺徳友誼をあらためて知る機会と、国と国を友誼で結んできた先人からの取組みを次代へ紡ぐ機会にと起案。
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『御博』
【開催期間10月24日~11月22日迄の間のいずれかの日でそれぞれ開催】
●9月開催日時の冊子含め、公式発表へ…。

《奈良『森浩一先生に学ぶ』始動~第一回出席へ》2015年08月16日 21:49

日本考古学の開拓者、「破壊古墳」を守る先駆者、高地性遺跡を和歌山の踏査から始め、近年では御坊・有間皇子墓の着眼提起…私はその古墳の地を有する者として次代へ森先生の遺言を紡ぐべきと使命感じての東奔西走!/いよいよ森先生の学恩から学ぶ会の発足!私は最後に託されていた遺影のパネル展示協力を御坊から発送し、当日は東京より参上へ…。
■一昨年急逝された森先生、あまりに膨大な“森考古学”の軌跡!
「後世へ紡ぐ形を遺さねば森先生に申し訳ない」…奈良での発会は天野幸弘氏(朝日新聞社)の司会から始まりました。
この会はまさにレジェンドの構築への始まり…。/基調講演には、奈良県立橿原考古学研究所の今尾文昭氏、茨城大名誉教授の茂木雅博氏、そして会をまとめるのが同橿原考研所長の菅谷文則氏。
日本考古学を牽引する方々が皆、森考古学の申し子…という、とてつもなき深き豊かな機の発足。

紐解けば、天皇陵などの治定は近世明治の時代に強行されたものであって、裏付ける考古学踏査は皆無に近いほどわずかな状態。その妥当性を解明してこそ、本来の拝所の意も叶うし、戦後考古学の解明に至ると学知探究を掲げたのが森浩一先生。
代表的なのが、皆が仁徳天皇陵と常習してきた古墳に論拠となる踏査がないことを指摘し、のちに「大山陵古墳」と称されることになり、教科書にも“地元呼称”を優先すべきとなるきっかけを作ったのが森浩一先生なのです。

実際の“踏査”を行ってこそ真実が見える…を身をもって提起された森先生。
その姿勢は、学域を越えて松本清張氏、司馬遼太郎氏と親交を深める「古代学」に至り、更には在野に輝く遺跡遺構を地域の力にと提唱された「地域学」は各地に起学となり、現在息衝いている。

2012年、有間皇子墓実在の和歌山県御坊市での講演、術後を押しての講演は生涯最後となり、そこで託されたのが「紀州学を立ち上げよ」…でした。
遺言なのです。
最後の命の一滴まで、在野の向学を提起して下さったのです。
私は有間皇子の墳丘所有のきっかけからでしたが、これは最後に託された使命だと思っています。
いわんや、地域皆の使命なのです。
更には、全国在野の人々の、何をも代えがたい自負となる宝なのです。
森浩一先生が掲げられた名言「考古学は地域に勇気を与える」!
今更ながらに、心に響きます。
ゆえに、後世へ繋ぎたいと思います。

今回、『森浩一先生に学ぶ会』第一回が奈良・橿原考古学研究所で始動しました。
森先生の生き様、選球眼、探究の心、これは考古学を越えた“哲学”です。
レジェンドの紐解きが「学ぶ会」として始まりました。
さて、次回はどこへ…。
早速、和歌山での提案が遠からず…と挙がっています。
より多くの皆様のご傾聴お声を賜り、実現と継承へと思います。
多くの神々降臨の地、和歌山に「紀州学」はまだ立ち上がっていないのです。
…ぜひ、皆様のお声ご協力をお寄せ下さい。
~奈良~東西奔走の一路より~
HP【東山の森Ark】
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『森浩一先生に学ぶ会』
●講演第一部
「天皇陵古墳と森浩一」
今尾文昭/奈良県立橿原考古学研究所調査課長
●講演第二部
「森浩一先生と天皇陵問題」
茂木雅博/茨城大学名誉教授
●まとめ
菅谷文則/奈良県立橿原考古学研究所所長

●遺影展示協力:東山の森Ark

於:奈良県立橿原考古学研究所 講堂
8月9日実施。
200席満場
(閉会後、遺影と共に:森先生奥様、今尾先生)