《有間皇子を巡る謎…連載⑩》「四季を通じて絶えない供花にみる古墳への関心と、誇大への開眼の息吹~」☆彡2015年01月20日 11:56

3年目を迎える連載…古墳造営の地から謎を紐解く…今回は“供えられる花々”にみる傾聴と関心の息吹についてを記載。
★岩内1号墳は昭和の時代に存在が認められた古墳でしたが、その後に被葬者・有間皇子とする着眼発見に至っても地元の傾聴も関心も希薄なままとなっている事態に、このままではいけないと再度の着眼喚起と顕彰を呼びかけたのが、平城京遷都1300年で湧いた6年前でした。
同じ古代史かなめの7世紀を経る時代に生きた有間皇子、その眠る地・紀伊国。平城京遷都を成した聖武天皇の生母・藤原宮子の生地、御坊・日高の地から、解明と顕彰を…と発信。
その提起に行ったのが古墳発見者の森浩一先生講演とシンポジウム、そして地元紙での連載と、各所での講話や文化喚起取り組みの活動始動…。
その手ごたえを示してくれたのが、古墳間口に添えられた花々でした。
最初は菊の一輪、それから山百合を束ねた献花、そして、有間皇子の顕彰を掲げて初めての古代開眼シンポジウムと併せて行われた講演の際に供えられていた花籠!
そこからはバレンタインの花、更には、5月お節句の鯉のぼり…と、あきらかに若き皇子に向けられた表意の数々…。
そして、ある日、大きな花器を兼ねた水瓶と、御影石の蝋燭立て。古墳に供えた「一声ノート」に記されていたのは有間皇子への取組みへ心からの注心を記した一筆。無記名なれど「皆で持ち寄って備えるに至りました」との意。
一年を通じて花が絶えずとなった光景。これまで1300余年を眠りに付していた有間皇子の魂が、ようやくの時節を経て、埋葬の地、岩内墳丘へ皆の顕彰の心が脈を打ち出した瞬間…と感動の一景。
今回の2015年の年頭連載⑩は、これまでの四季折々を通して寄せられた花にみる地域からの鼓動と題して記させて頂きました。
《日高新報・1月17日発行》

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