《古代「日本」を築いた女帝・持統天皇を描いた『天上の虹『~完結》NHK「歴史秘話ヒストリア」6月10日OA!2015年06月20日 21:27

●倭国が日本と成る約1300年前に古代最古最大の藤原宮を築いた持統天皇を32年間に渡り連載された里中満智子氏作『天上の虹』が今春完結!/この連作の第一巻こそ、私が顕彰する「有間皇子」を描き、持統(鸕野讚良皇女¬=サララ)の父・中大兄皇子(天智天皇)による謀略死が無ければ二人は結ばれていたかもしれないと想定され、父に殺された有間をずっと慕い哀しむサララをのちに支え最良の治政のパートナーとなったのが大海人皇子(天武天皇)。
●里中満智子氏は、歴史漫画を輩出するきっかけになったのが有間皇子を詠んだ万葉歌であったと『天上の虹』第一巻に記しているほど、没した若き有間皇子は古代かなめ、真の大化の改新を行った父・孝徳天皇の一人息子。
●没して歴史の闇に葬られた有間皇子の解明を進めると、その後の持統帝が倭国・日本となる年・大宝元年に、紀伊国に最大の随行率いて、有間皇子が眠るとされる紀伊国(現・御坊/岩内1号墳)~紀伊半島を御幸、後世を継がす聖武天皇(=生母は御坊・道成寺地元出身・藤原宮子)誕生年。
●持統天皇を推考するとき、この有間皇子と、持統の孫聖武天皇・生母関わる紀伊国・古墳造営当地を絡めることが古代かなめの時代の解明に繋がると思う次第。/ この観点から、当地御坊市での「古代史開眼講演」を起案実施。
その際に出演ご協力願ったのが里中満智子氏。基調講演は有間皇子古墳を着眼発見の森浩一先生。/ 欠史されたなかに隠された古代史かなめの紐解きへ、有間皇子と持統天皇の後の藤原京の構築から、倭国が日本へと、いわゆる「国際社会における日本」としての位置づけも成した持統天皇。
●NHK大河ドラマ50周年を迎えるにあたり、近年の戦国武将モノばかりでなく、新たにどのよな取り組みをすべきかという特集が新聞紙面を飾ったとき、『天上の虹』は!?との提案が施されました。
まさに!その時がきた!と思いました。私が有間皇子着眼へ取り組みを始め、古代史開眼講演(総務省後援)を実現した年の元旦に記された記事でした。
●このたび『天上の虹』完結を迎え、NHK歴史秘話ヒストリアでの特集のOAあり。まさに、この時代、この観点へフォーカスすべきと痛感してのブログup!
★筆舌ここに伏すには長きとなるので、秘めたる後述は控えて…としますが、この観点には多くのミステリーの重なりあり! 持統が天武帝のあとを継いで築いた藤原京、その大極殿の先、直線上に眠るのが天武眠る野口王墓。/ 紀伊国・有間皇子墓の真北線上に同時造営されたのが藤原宮子生誕地に創建された県下最古の道成寺。
この道成寺創建年に、倭国は日本と称され、翌年に持統帝は生涯を終えるのです。
●持統・天武が成した業績多々…。のちの古事記・日本書紀の原動となった歴史編さんの開始。/長らく途絶えた遣唐使の再開。/そしてかの伊勢・式年遷宮も持統天皇治政時に始まる。
●持統が全国をはじめて統制する権威の象徴として施したのが幅12m全国を縦貫する道路「朱雀大路」。~地を司る南の方位を表す「朱雀」=鳳凰を私の取り組む古代顕彰の象徴画とし、この大きな古代解明の大局へ一矢をと思う次第…。
『天上の虹』~NHK歴史秘話ヒストリアでのOAから、きっと遠からず大河ドラマとして、この要が描かれる日を願って一考☆彡