《東京の空の下に“和歌の浦”~有間皇子の「藤白峠」に逢ふ》/『六義園』2015年06月05日 21:20

萬葉集にも記された藤白峠、天皇後継ながら中大兄皇子により謀略死させられた有間皇子に纏わるのが紀伊国・和歌の浦を御所の芝から望むむ地。その絶景が東京・六義園の象徴として作庭され描かれている。
●東京・駒込駅最寄り、かの三菱創始者・岩崎彌太郎により明治維新後に江戸の大名庭園が復興・修築され、その後東京市へ寄贈された。
隣接の「東洋文庫」は東洋学分野では日本最古・最大の研究図書館。所蔵は約100万冊を超え、世界最大級の本のミュージアムとして「東洋文庫ミュージアム」も存在する。
●私は郷里・紀伊国に眠る有間皇子の古墳発見の由縁から顕彰を行う近年、そのなかで「東京にも「藤白坂」を模した庭園がありますよ」と伺い、春花を愛で再訪重ねて参上。
園庭間口にある枝垂桜の大木を経て、園庭の最も高台の位地にある藤代峠は躑躅に包まれる絶景。

●萬葉集に纏わる絶景を描いたとされる「六義園・八十八境」の主景観として有間皇子纏わる「藤白峠」が作庭されていること嬉しく、その裾野に広がる庭園風景は、かの聖武天皇の御幸の随行歌人・山部赤人が詠んだ「和歌の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 葦辺をさして (鶴)たづ鳴き渡る」を具現化した絶景となっている。

●聖武天皇の生母・文武天皇夫人こそ、御坊・道成寺、有間皇子古墳最寄りに生まれた藤原宮子、藤原一族が院政を引くきっかけとなった藤原不比等の娘。
様々に由縁の地の一景を、“東京ノ空ノ下”…に愛でるを嬉しく…、春の枝垂桜、梅雨を前の躑躅の時節を終えて一景一考…。