≪岩内の墳丘の高さが救う≫2013年01月08日 12:33

岩内古墳群の最も高いところに佇む岩内1号(有間皇子墳)
日高川左岸の丘陵に位置する岩内古墳群。記録などから8基あったことが確認されているが、既に破壊や消滅があり、現存するなかで現存遺構が確認されるのは2基。
そのなかで県指定史跡の公園整備として遺されているのが「岩内1号(有間皇子)墳」
この墳丘全体の標高が15〜20m!
この高さを見て思い浮かんだのが昨年発表された「南海トラフ巨大地震モデル検討会」の和歌山への満潮時津波髙想定。
それによると、御坊及び日高町界隈は約10〜17m。
まさに岩内の墳丘が、この高さを救うような標高であり、日高川を挟んで最も御坊市街地に近い場所に存在する。
悠久から1300余年、一度も水難に浸からず佇む岩内古墳。その南面一番小高い位置の古墳として在るのが1号(有間皇子)墳だ。
有間皇子墳を着眼して下さった森浩一先生が、一昨年東日本震災を受けて『災害の歴史に学ぶ』を発表。「日本書記」には既に“地震”という言葉が27回っも出てきて、津波という言語は出てこないが“海になった”と記され、古墳にはその痕跡から地震歴と規模が多くわかることがあり「地震考古学」を提唱している。
先人に学ぶべき…その御旗のように岩内1号墳は日高川河口へ静かに視線を向けて佇んでいるように感じる。
岩内古墳を考古学検証だけでなく、御坊市復興と喚起の御旗に…その思いを新年に向けた意と思います。
≪多くの賛同と喚起へ…「有間皇子ことはじめの会」開催へ≫
/東山の森Ark